後編では、前編の東北の100名城、続100名城には入らなかったものの、☆7相当に有力な城を、前編で記した通り、探っていきます

豊臣政権下の東北の主要、城一覧

1590年頃の秀吉が天下統一した後の豊臣政権下の東北の有力大名の城です

青森県  弘前市    大浦城 津軽為信

青森県  三戸郡三戸町 三戸城 南部信直(この頃の南部氏の本拠地は盛岡ではない)

秋田県  能代市    檜山城 秋田実季

秋田県  仙北市    角館城 戸沢光盛

山形県  山形市    山形城 最上義光(☆4実装済み)

山形県  米沢市    米沢城 伊達政宗

福島県  会津若松市  黒川城 蒲生氏郷(☆2実装済み)

1590年頃の豊臣秀吉が天下統一を果たした頃の城とその時の所有していた大名です

実装済みなのは、山形城と黒川城です

関が原の前後から、本拠地が変わる大名が多く、大浦城の津軽為信は弘前城へ、三戸城の南部信直の南部氏は盛岡の盛岡城へ、檜山城の秋田氏は、関が原の合戦で最上氏と揉め、佐竹氏の常陸と交換(秋田氏にとって減封)されてしまいます(その後、秋田氏は前編でも登場した三春城にまた替えられます)

※米沢城の伊達政宗は後述

東北の勇将 伊達正宗の居城一覧

山形県  米沢市     米沢城

福島県  二本松市    小浜城

福島県  会津若松市   黒川城(☆2実装済み)

山形県  米沢市     米沢城

宮城県  大崎市     岩出山城(城プロREで実装されている岩出山城とは別)

宮城県  仙台市青葉区  仙台城(☆2、☆5、☆6青葉城としても実装済み)

宮城県  仙台市若林区  若林城

伊達政宗は居城(本拠地)が、周りの豪族との争い、秀吉の奥州仕置き、家康の政策などで何度か変わっています

伊達家と言えば仙台城が有名ですが、最初から仙台が本拠地ではなかったことが分かります

宮城県の大崎市、岩出山城は城プロREで既に実装されている岩出山城とは別なお城です

秀吉の刀狩や検地といった政策に不満を募らせた、葛西大崎一揆の責任で米沢城から、大崎の岩出山城に減封されています

その後、仙台城を築城し本拠地を仙台に移します

宮城県の仙台市若林区の若林城は、仙台城を築城した正宗が隠居するための城だったと言われています

西南戦争の捕縛兵を収めるための、宮城集治監となり、今も刑務所になっています(堀、土塁が脱走のため生かされているみたいです)

☆の数がいくつになるかわかりませんが岩出山城、若林城は伊達政宗にゆかりのある城ということで、米沢城、重臣片倉氏の居城、白石城と並び実装されるかもしれません

次からは100名城、続100名城ではなく、日本の桜の名所として選ばれているスポットを見ていきます

東北の日本さくら名所100選

青森県  弘前市 弘前公園 弘前城

青森県  五所川原市 芦野池沼群県立自然公園藤枝ため池

岩手県  盛岡市 高松公園

岩手県  北上市 北上市立公園展勝地

宮城県  大河原町・柴田町 船岡城址公園

秋田県  秋田市 千秋公園 久保田城

秋田県  横手市 真人公園

秋田県  仙北市 桧木内川堤・角館武家屋敷

山形県  鶴岡市 鶴岡公園 鶴ケ岡城

山形県  南陽市 烏帽子山公園

福島県  会津若松市 鶴ヶ城公園 会津若松城

福島県  二本松市 霞ヶ城公園 二本松城址

福島県  三春町  三春町のシダレ桜、三春滝桜

太字は実装済みの城と城を指します

宮城県  大河原町・柴田町 船岡城

船岡城の歴史ははっきりと残されてはおらず、鎌倉時代の頃、1200年頃に、芝田次郎が造ったと言われていますが、それよりも前にあったと言う説があります

四保氏、屋代氏と城の所有は入れ替わります

江戸時代になると伊達藩重臣の原田氏が入ります

ちなみに原田甲斐の母は豊臣秀吉の側室でした

原田甲斐(宗輔)が1671年に伊達騒動とも寛文事件とも言われる事件があり、伊達家の争いだったのが、原田氏の全て責任となり、原田氏の男子、船岡城の原田氏の建物は全て処分されました

伊達家のお取り潰しなるような事件でしたが、責任は全て、原田氏に着せられる形になっています

要塞とも呼ばれており、山城としての地形を生かした要塞として戦いに備えた造りだったようですが、時代が変わってくると、城の役割も変わり、三の丸、城下町に主要なものは移されました

伊達事件は、大変興味深い事件なのですが、

後に伊達騒動の一連を書いた山本周五郎の「樅の木は残った」が大河ドラマ化されたこともあり(1970年の大河ドラマなので見たり覚えている人は今は少ないでしょうが)、それまでの伊達事件においての原田氏も見直されています

原田氏の後に、柴田氏の城となりましたが明治時代に火災で焼失してしまいました

現在は桜の美しい名所とされて、期間限定でスロープカーも利用することができ、しばたさくら祭りは大勢の観光客で賑わいます

伊達家の複雑なお家騒動に巻き込まれた原田氏のエピソードも興味深く、桜のすばらしい観光名所になっている点で☆5相当の実装の可能性があります

秋田県  仙北市 角館武家屋敷・角館城

角館城は諸説ありますが1423年頃にはあったようです

関が原の戦いの後の1602年の佐竹義宣の弟の蘆名義広(義勝)が入りますが、1620年にそれまでの山城の角館城から、城下を南側に新しく整備して、(一国一城令で破却の説もあり)角館城から城下町が栄えるようにしたのが角館武家屋敷の始まりと言われています

蘆名氏は3代の51年で途絶えますが、佐竹氏が入り明治維新まで続きます

なお、戊辰戦争では秋田の久保田藩は新政府軍についたため、東北諸藩の多くがついた旧幕府軍、幕臣の奥羽越列藩同盟に加わらなかっため、奥羽越列藩同盟の盛岡藩、庄内藩の攻撃を久保田藩は受けることなります

大館城は落城しましたが、戦局が変わり、久保田城、角館武家屋敷は戦禍を逃れています

みちのくの小京都と呼ばれるのは、芦名家のあとを引継いだ佐竹北家の角館初代佐竹義隣と二代目義明夫人が京の公家の出身で、京都の生活と文化を取り入れて、小倉山、花場山、鴨川など京都の地名が、いまもいくつも残っています

武家屋敷は石黒家、青柳家、岩橋家、河原田家、小野田家、松本家、の内町が有名ですが、外町の蔵が5つもある西宮家も蔵好きなら是非行ってみたいところ

神社、お寺もたくさんあります

春には桜の名所、秋には美しい紅葉、冬には雪化粧の風景が観光客を楽しませます

実装されるのなら、角館城、もしくは角館武家屋敷で星5,6相当かもしれません

ここで少し休憩です

☆7の城になるには、いくつかの条件があるようです 考えられる条件を見てみましょう

現存十二天守で7月まで実装されていなかった松江城は、☆7が確実という人もいましたが、実装は☆6のでした

条件を考えるあたり、

・文化的、歴史的に知られているか

・施設、面積、規模が大掛かりで、大きいかものか

・エピソードや逸話が豊富なものか

・豪華なものか荘厳であったり、風格があるか

・今も残っている、または、城址として何らかの発掘調査が行われたかどうか

・神秘性や、幻の城と言った、他では類を見ない唯一無二の城であるかどうか

・時の権力者によって作られていたかどうかなど

・今のニュースなどメディアなどで、注目を集めているかどうかなど

まだ未実装で、☆7の期待がされる城は関東だと江戸城が有力であり、時の権力者によって作られていた点も条件に合致します

もしかしたら大坂城が改築で☆8になるので、江戸城は別格の星8からの登場になるかもしれません

他にもまだ有力な城は多く、九州地方なら、秀吉の朝鮮出兵の拠点になった、10万人以上の規模を誇ったと言われる、肥前名護屋城もあります

肥前名護屋城は、施設、面積、規模が大掛かりで、大きいかものであったと言われ、朝鮮出兵のために作られた、他では類を見ない唯一無二の城という点でも☆7の城が有力と言えそうです

話題性から言うと最近の将棋ブームから、山形県の天童市の天童城も実装が今話題の城とも言え、期待できますがイベントでの登場になるとおもしろそうです

以上の点を踏まえて再び、東北の☆7の可能性のある城を見てみましょう

上杉景勝、直江兼続の幻の城

福島県  会津若松市  神指城

神指と書いて、こうざしと読みます

豊臣政権の五大老の一人、上杉景勝の城でした

関が原の合戦の年、上杉景勝が直江兼続を普請惣奉行にして命じ、造ったと言われています

1598年8月に秀吉が死去すると、五大老筆頭の家康と五奉行筆頭の石田三成が対立します

上杉景勝はこの頃、不穏な情勢に備え決戦を準備していたのか、城を改修したり戦の防備を整えていたようです

前編に登場した巨大山城の向羽黒山城もその一つで、神指城は、前年に会津に転封した上杉景勝が、会津若松城が手狭いと考え、築城することになりました

1600年3月に築城に入りましたが、家康に上杉景勝に逆心ありと、嫌疑をかけられ、上杉会津討伐のため、築城は中止になってしまいました

関が原での合戦には参加しなかったものの、西軍は僅か1日で敗れ、上杉景勝も山形の米沢に減封されてしまいます

 

この頃の簡単な年表

1597年 豊臣政権の五大老になる (五大老の小早川隆景死去のため)

1598年 越後春日山城から会津120万石に加増転封

この頃向羽黒山城を籠城戦に、備えて韓国の熊川倭城を参考に改修したと言われている

1600年 神指城を築城開始 家康の政略により謀反の疑いをかけられる(会津討伐)

1601年 関が原の合戦後、西軍の敗戦を受け、出羽米沢に減封される(米沢藩の始まり)

僅か4年ほどの間で、豊臣政権五大老120万石の大名から30万石まで減らされてしまうのが分かります

秀吉死後の動乱期だったとは言え、大幅な変化です

神指城は、会津若松城を超える大規模な平城になる予定でしたが、未完成のまま中止になってしまったので、完成していたなら☆6、7相当の城になったと考えられます

しかし、関が原の合戦の会津討伐の契機もなったと言え、神指城完成は幻の巨大城という観点からも☆6相当の城でも良いのではないでしょうか

青森県  青森市  三内丸山遺跡

センター試験などの日本史の選択肢に出てくる遺跡です

縄文時代前期から中期の5500年~4500年前にあったと言われる大規模な集落、遺跡です

発掘調査で竪穴住居跡、大型竪穴住居跡といったものや、墓や生活に関わる遺跡跡が見つかり、縄文土器などたくさんの出土品が発掘されています

黒曜石、ヒスイといったものも発掘されており、遠い地域との交易があったと見られています

日本最古の城と言われる吉野ヶ里が☆6で実装されており、同じ竪穴式の住居も三内丸山遺跡にあることから、実装が期待されてもいい城と言えるかもしれません
古い城ほど、幼い城娘になる傾向があるので、実装されればかなり若々しい城娘になるでしょう

岩手県 奥州市 胆沢(いさわ)区 胆沢城

胆沢(いさわ)城は大和朝廷の蝦夷と戦うために造られた古代城柵が起源で、時代は802年頃まで遡ります
征夷大将軍、坂上田村麻呂が築いたとされています
ちなみに、鎌倉幕府の源頼朝、室町幕府の足利尊氏、江戸幕府の徳川家康は征夷大将軍に任じられていますが、その名は、この時の蝦夷征伐の蝦夷のの字と征伐のの字から来ていると言われています

 

多賀城(☆5実装済み)から鎮守府が胆沢城に移されたことなどから、当時は東北の朝廷の政庁とされ重要な役割を担っていたと考えられています
同じ大和朝廷から蝦夷との戦いの拠点として造られた、秋田県の古代城柵の秋田城(前編でも取り上げた)、宮城県の多賀城(☆5実装済み)と並び、東北柵姉妹として幼い姉妹のような城として登場されるかもしれません

(多賀城から鎮守府が移された経緯から妹的なポジションになる可能性も・・・?)

胆沢城跡地の、あやめ苑では3万株の花しょうぶが夏に咲き、胆沢城あやめ祭りとして今も開催されています

岩手県 奥州市 胆沢区? 阿弖流為の城

 

征夷大将軍の城、胆沢城が実装される可能性があるのなら、その相手の蝦夷のアテルイの城が実装されてもよいはずです
征夷大将軍が坂上田村麻呂なら、アテルイは蝦夷側の大将でした

10年前後に及ぶ中で、アテルイは降伏し、平安京に行きますが、田村麻呂の助命むなしく、処刑されてしまいます

大和朝廷は蝦夷を逆賊として戦ったため、蝦夷が悪のようなイメージが植え付けらていましたが、蝦夷は東北の地に先人として、自然と文化を営んでいた人々だったので、近年はアテルイのイメージも変わり、英雄視されるようになりました

東北、北海道には現在の日本語にないような名前の地名も多く、(夏油温泉げとうおんせん等)アテルイの蝦夷の人々やアイヌの人々の言語からついた地名と言われています
地元の水沢市では商業施設にアテルイの名前を使ったところもあり、アテルイ、蝦夷の人々が再び再認識されていると言ってもいいです

歌舞伎などメディアの媒体にも登場しているので興味のある人は見ると面白いでしょう

アテルイの城ね~神秘的でおもしろそう~

このような経緯からも実装される可能性はあり、実装されるのであれば、武器は狩りなどで使った弓でしょうか、アテルイの英雄性、蝦夷の人々の神秘性から、野生的な美少女ぽい城娘になりそうです

日本100名城、続100名城、東北の大名城、日本さくら名所100選を見てきましたが、次は世界遺産を見ていきます

世界遺産には登録されている日本の城があります

兵庫県 姫路市 姫路城(☆7実装済み)

京都市 中京区 二条城(☆5実装済み)

沖縄県 首里城を含めた5つの城(☆6実装済み)

世界遺産に選ばれている城は実装される可能性が高いと言えます

ここで東北の世界遺産に登録されているものを見ましょう

東北の世界遺産

岩手県 平泉町 平泉文化遺産

青森県南西部~秋田県北西部 白神山地

ここからは、平泉町の平泉文化遺産を見てみます

 

岩手県  平泉町 奥州平泉城

 

岩手県の南方の世界遺産にも登録されている平泉町の文化遺産です

平泉の歴史は古く、初代藤原清衡の頃まで遡ると1000年近く昔になります

前九年の役(今から950年前頃)この地方を掌握していた豪族、安倍氏がいました

安倍氏の勢力が拡大することを恐れた京の朝廷が武家の源氏の源頼義、義家の親子を派遣し、安倍氏との間で合戦を繰り広げます

12年にも及ぶ長き戦いの末、安倍氏は敗れ果てます(前九年の役)

この時、源頼義、義家に加勢したのが、秋田県の豪族、清原武則です

安倍氏は敗れてしまいますが、安部頼時の娘は7歳になる男子を連れて清原家の武貞と結婚します(連れ子を連れて再婚)

この時の連れて行った7歳の男子こそが後の藤原三代の基礎を築く、藤原清衡です

安倍氏は滅びましたが、安倍氏を滅ぼした清原家の中でも、前九年の役から20年後に一族の分裂、家督争いが起こりました

兄弟の長男の真衡、続いて、清衡と家衡の争う形になり、これに朝廷から陸奥守に任じられていた源氏の棟梁、源義家が、清衡の軍に加わり、大規模な戦になりました(後三年の役)

いろいろな紆余曲折があり、その中で清衡の妻子と一族が、家衡の攻撃により、みな討たれてしまいます

助かった清衡は源義家に頼り、家衡とそれに加勢した清原武衡を破り、処刑します(この辺りは絵巻にもなっており生生しいで割愛)

この戦で清衡は、妻子一族を失い、兄弟とも争い、前九年の役で父の戦で多くの人が死んだことを痛切に思ったと言われており、極楽浄土(争いのない平和な世界)を目指した理想郷を創ることになっていったと言われています

(この前三年の役では資料が残されており、源義家が、雁(鳥)が乱れて飛ぶ姿を見て、家衡・武衡の軍が近くに潜んでいることを察知し、勝利したなど興味深いエピソードもたくさんあります)

この戦で源義家は関東からも兵を集めており、朝廷に恩賞の請求をしましたが、断られ、そのため味方とした戦った兵に私財を褒美・恩賞として与えたため、源義家の名声が関東で高まり、後に平氏との合戦で関東の有力武家が味方につくのです(歴史を辿ると何かがどこかで噛み合い巡り合っています)

繰り返しにもう一度なりますが、この前三年の役で清衡は、妻子一族を失い、兄弟とも争い、前九年の役で父の戦で、敵味方の多くの人が死んだことを痛切に思ったと言われており、極楽浄土(争いのない平和な世界)を目指した理想郷を創ることになっていったと言われています

その経験が平泉の中尊寺を建立し、戦いのない平和な世界、浄土思想と言う形なって受け継がれていきます

初代清衡は中尊寺を作り、平和な世界を目指しました

また京の都からも優れた職人を呼び寄せ、寺や庭園を造園しました(金色堂は国宝)

2代基衡にもこの思想は受け継がれており、毛越寺(もうつうじ)、を建立したり、浄土庭園造りに着手したと言われています

この頃できた薬師如来坐像は見事な出来栄えだったと言われています

3代秀衡は毛越寺を完成させ、無量光院を建立しました(無量光院は、京都宇治の平等院鳳凰堂をモデルとしたとされています)

また都の有力な公家との間にも良好関係を築き、この頃の奥州平泉は、朝廷にも、平氏源氏の武家にも支配されず、半ば独立国のような状態でした

奥州藤原氏を支えたのは、陸奥の砂金、名馬など莫大な献上品、贈り物でした

また京の都からは平泉の地は離れており、京のにおける戦乱や、競争からかけ離れて、勢力が保持されていたと考えられています

秀衡の時代、栄華の最盛期を迎えましたが、鎌倉で幕府を開く、源頼朝によって終焉します

関東の頼朝によって武家の政治統治が始まると、秀衡は平泉の地が危ないと危惧します

源氏の争いに敗れ、落ち延びてきた源義経をかくまい、奥州を関東の頼朝から守ることを画策します

秀衡は頼朝との戦が避けられないと予言し、亡き後は義経を総大将にして、鎌倉幕府と戦うように4代泰衡(やすひら)に言い残し死去します

が、そこで泰衡は平和だった奥州に、義経が来てから、何かと睨まれるようになったことを心配し、頼朝から朝廷に出されていた「義経を差し出せ」という強い圧力に呑まれてしまいます

義経を討ち、その首を差し、奥州の地を安堵するという頼朝との条件を呑み、義経を裏切り、義経を討った泰衡でしたが、秀衡の予言の通り、頼朝は関東の兵など大勢の軍を奥州へ送ります(初めから奥州平泉氏を滅ぼすためだったのです)

奥州における藤原氏と頼朝の戦、奥州合戦はごく短い間で終り、泰衡の最期は、自身が義経を裏切ったのと同じように、味方に裏切られ、討たれます(因果応報でしょうか、またその討った河田次郎も斬罪されました)

 

藤原三代の(清衡、基衡、秀衡)はそれぞれ33年ずつ、奥州を計99年統治したと言われており、数奇な数字からも不思議な運命を感じさせます

藤原氏三代のミイラともう一体の首は長年手厚く奉られて来ましたが、昭和になって4体目の首が藤原四代目の泰衡であることが分かってきました(画像は閲覧注意)

奥州を支配し、独自の発展を遂げ、栄耀栄華を極めた藤原氏は4代泰衡の代で途絶えますが、☆7相当の文化遺産、跡として実装の期待がされます

(ジョジョの漫画家、荒木飛呂彦さんが書いた奥州藤原三代のポスター、荒木飛呂彦さんは宮城県仙台市出身で快く描いたと思われる、一見すると見えるのは3人だが、よく見ると・・・)

平泉には、中尊寺金色堂、毛越寺などこの地を治めていた藤原三代に纏わる建築物、お寺仏閣があります

お寺などが城になることはあるの?と思いますが、山科本願寺(石山御坊)、根来(ねごろ)城もお寺からの選出であり、根来城は厳密には城でなく寺と言っているので実装される可能性はあります

名前、名称は奥州平泉城が有力ですが名前の商権がややこしそうだったら、

 

などもありそうです

武器は神楽あったことなどから歌舞または鈴が有力、札も有力です

もしかしたらお寺も多くあることから、気トークンを持つ城娘になるかもしれません

豪華で雅やかな風情でたくさんの黄金もあったことから、攻撃の計略になるなら、黄金の舞などで範囲内の味方の耐久、攻撃、防御を上げるだとか、敵の移動を黄金のまぶしさで止める等すごい計略を持つ城娘になることでしょう

東北・新潟県などを含む 奥羽越列藩同盟城

東北の諸藩が戊辰戦争の際、同盟を結んだのが奥羽越列藩同盟です

一つの城としてではなく、各藩のを一同にかいし、東北独自の政権樹立も目指す案もあったことから、総称とし城として実装される可能性、期待もあります

奥州藤原氏が滅んだ後、歴史の教科書にはなかなか登場しなくなる東北の地が再び、取り上げられるのは幕末の戊辰戦争だったりします

戊辰戦争は、天皇による新政府樹立を目指す新政府軍と、それに抵抗する旧幕臣、幕府支持中心の軍との間で起きた戦いです

京都守護職で知られる松平容保は、会津藩の藩主でした(よく新撰組を扱ったドラマ、映画にも容保は出てきますね)

なぜ、江戸、京都から離れた福島県の会津藩が京都守護職なのかというと、陸奥会津藩初代藩主の保科正之が、徳川家康の孫であり、3代目将軍家光の異母弟だったので、何かと将軍家との関わりが強くあったためです

また戊辰戦争で、旧幕府軍として活躍する庄内藩も江戸市中取締の職にあり、治めていたのが徳川家康の四天王の一人に数えられたと酒井氏だったこともあり、徳川幕府とは譜代大名家の中でも深い関わりがありました

薩摩長州藩を中心とした、新政府軍に敗れて、幕府との関わりの深い会津藩、庄内藩に落ち延びてきた武士もいたようです

新政府軍は、奥羽鎮撫総督を派遣し仙台藩など東北の諸藩に、尊王攘夷派の新政府軍から、朝敵と見なされた会津、庄内藩の征伐を命じますが、仙台藩など多くの東北の諸藩は会津藩に同情的で、できれば戦をしたくないと、解決策を探ります

そんな時、新政府軍から派遣された奥羽総督府下参謀の世良修蔵が奥州皆敵と新政府軍に送る密書を仙台藩士が読んでしまい、世良修蔵は暗殺されてしまいます

このような経緯から仙台藩、白石藩、米沢藩などを中心として、新政府軍と戦うため、東北諸藩が同盟を結んだ奥羽越列藩同盟が誕生します

奥羽越列藩同盟は、新政権を樹立する計画もあったようで、この辺りは榎本武揚を総裁として、五稜郭(星7実装済み)を中心に蝦夷独自の政権を創ろうとしたところに似ています

輪王寺宮公現法親王を盟主にし、東北の藩が要職につき、独立した政権として運営すると言った構想もあったようで、外国のプロイセン王国(今のドイツ)に武器などの援助の見返りとして、蝦夷地(今の北海道)を与えるといった資料もあります

この奥羽越列藩同盟には諸説あり、会津藩、庄内藩が含まれると言う説と、奥羽越列藩同盟に会津藩、庄内藩は含まれず、会津、庄内の同盟、【会庄同盟】を奥羽越列藩同盟と別に考える説もあります(但し戊辰戦争に置いて会津、庄内藩が東北における大事な藩だったことは間違いはないです)

こうして誕生した奥羽越列藩同盟でしたが、決して一枚岩だったとは言えず、東北諸藩の中には、尊皇攘夷の考えや、新政府軍につくことを唱える藩もありました

東北の有力な藩で新政府軍についたのは尊攘の思想があった秋田県の久保田藩などがあります

久保田藩は東北の中で、多くの東北諸藩が奥羽越列藩同盟に加わったのに対して、早い時期に、新政府軍についたため奥羽越列藩同盟軍の攻撃を受ける形になりました

なお久保田藩と同じ秋田の亀田藩は、初めは12代目藩主岩城隆邦が勤王派であり、新政府軍につきましたが、新政府軍の粗暴で前線で酷使されることに耐えかね、奥羽越列藩同盟にまた戻ったりしています

盛岡藩なども、新政府軍につくか、旧幕府軍として戦うのか議論もあり、南部氏と関係の深かった八戸藩は、南部 信順が薩摩藩主の島津重豪の十四男で養子と言うこともあり、どちらにつくか難しい選択だった例もありました(弘前藩の藩主津軽承昭も熊本藩主細川斉護の四男で養子だっため途中で新政府軍についたり、同盟についたり、また新政府についたりしました)

この時、新政府軍と戦い、徐々に戦局が悪化し、脱退する藩が増え出したのに、新政府軍についた久保田藩に後一歩まで迫り、最後まで庄内の領土を守った凄まじい戦力を誇ったのが山形県の庄内藩です

庄内藩ってどこの城?と思うかもしれませんがもう実装されています

庄内藩がかなりすごかったのが分かります

奥羽越列藩同盟が城として実装されればおそらく武器は刀で、列藩同盟なので越後も入り、東北、北信越地方で初の☆7の城になりそうです(関東の請西藩も入っていたという説もあり)

江戸後期の頃の城として実装されるのなら大人ぽっくて、多くの藩を巻き込んでいることから、大人っぽい背の高そうなかっこいい城娘になりそうです

 


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美月菜奈

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